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コインランドリーで考える余白

6月、雨の日が続くと増える、わたしのお出かけスポットがある。

お出かけスポットと言っていいものか…

『コインランドリー』だ。

最近のコインランドリーはカフェスペースがあったり

自販機のバラエティが豊富だったり、カウンター席があったりして居心地がいい。

もちろん空調も効いているし♪

わたしは待ち時間は家に戻らず、本やジャーナリングノートを持ち込んで

あ、あと近くのドラッグストアでおやつを買ったりもして

コインランドリーで過ごすことが多い。

あの、「ゴーッ、ゴーッ、ゴーッ」

という規則的な音も結構心地いい。

何といっても、【洗濯をしている(家事をしている)】というタスクをこなしている中であるのに自分の為の時間を過ごせている、という感覚がある。

終わるまではもうここで過ごすしかない、と決めて、持ち物も最小限なので、時間が空いたからアレもやろーという日常の思考に入らなくて済む。

思考は形のないエネルギーそのもので、とても軽やかだから動きが速い。

今やっていることの最中でも既に次のことを考えていて、

今やっていることが終わって、次に移る頃にはまたその次の・・・と、どんどん先を行ってしまう。

コインランドリーという空間や、本とノートしか持たない、外界的な部分において制限をかける。

終わるまではここで過ごす、それ以外にするべきことはないと、先達て自ら決める。

余白は自分で作り出すもの。

私たちが必要としているのは、真っ白なノートのように何も無い余白ではない。

普段当然のように行っていることとは違うものが入る余裕なのだろう。

ワーカホリックな人にとっては仕事から離れてのんびりすることが余白というのかもしれない。

毎日土に触れている農家の方々にとっては、都会でショッピングすることが余白となるのかもしれない。

一人黙々と過ごす時間が多い人にとっては友人に会う時間が、いつも大勢と出会う生活の人にとってはあえて孤独を楽しむことが必要かもしれない。

余白(よはく)とは、文字通り余った白い部分。ただし漢字では余った白と表現するが、必ずしも余白の余った部分は白色ではない時もある。英語ではNegative spaceという。

Wikipedia (2020/06/16 00:58 UTC 版)

一言で余白、といっても、概念的にこういうもの、とは決めきれない。

あなただけの余白とは?

是非考えてみてくださいね☆

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