「あんな不格好に切られて、あの桜可哀そうに・・・」
となりの人が言った。
桜としてはどうなんだろう?
きっと何とも思わず、ただ春が来て咲いて、時がくれば散るだけ。
桜としての務めをこなしているだけで、感情はもちろん持っていないのだろう。
『整っている』『不格好』と、分けるのは人間ぐらいのもの。
私たち人間は【エゴ】というものを持っていて、「私」という認識がある。だからこそ、自分と他者、身体と身体の外側を認識して、個として存在できる。大切な心の機能。
一方エゴが強くなりすぎると、世界との調和や一体感を感じづらくなる。
YOGAの指す「統合・結合」は「全てがひとつ・ワンネス」の状態。
科学的に考えても、全部を分子、原子、粒子の次元まで細かくしていったら、私たち人間と地面にある土と、そう大差ない。
大自然は当たり前のようにそれを知っているから、優劣もなく、争うこともない。
どのように枝を切られようが、ただ在るだけ。
どシンプル。
なぜ人間だけが、エゴを持ち、こんなにも複雑なマインドになっているのか?
それは、この世を経験するためだと言われています。
大自然・神様・・・何と呼ぼうといいですが、エゴを持たない存在は、痛い思いや、悲嘆の思い、怒りや欲望も持たない代わりに、喜びも楽しむこともありません。静かな平和があるだけ。
私たちには、避けたいものがたくさん用意されているけれど、
期待通りにいかなかった時の怒り。
欲しいものを手に入れた喜び。
手に入れたものを失う悲しみ。
変化し、成長する楽しみ。
喜怒哀楽も、酸いも甘いも、アップもダウンも、ぜーんぶ人間だからこそ!
その波に呑まれることも多いですが、どんな波も経験の一側面として眺められると、人間らしさ(エゴの働き)さえも味わう余裕が生まれます。
その波乗り練習がヨガや瞑想というツールです。
波の無い人間はいません。波を見極めて、次にどのようにハンドリングするか。
そのトレーニングとしてヨガや瞑想は最適です♪
いわゆる ” しくじり ” さえも、経験として、沢山のことを経験することが人間としての務めなのかもしれません。
この春、皆さんはどんなチャレンジをしますか?